奮起湖駅弁のストーリー 歴史学科 関玲
駅弁と言うと、奮起湖駅弁を思い浮かべる人が多いであろう。ご飯に薄い豚肉、骨付き鶏肉、野菜炒め、筍などおかずがいっぱい入っている弁当は大変人気がある。多くの人は途中降りるのができなくても弁当を買うのだけ忘れないそうだ。この有名な弁当はどんな話があるのであろうか。
三面山に囲まれた小さな街の奮起湖はかつて阿里山森林鉄道の貨物と木材の中継ステーションであった。来吉・瑞里・太和へはこの駅で乗り換えなければならなかったので、阿里山鉄道沿線で最も栄えた集散地になった。当時、嘉義から阿里山へと向かう列車は奮起湖に到着すると丁度昼時だった。駅で待ち合わせる乗客は昼ごはんを食べるのが必要なので、周りに食堂が開業され、そばなどの呼び売りもいた。戦後、大勢の人は鉄道を利用するようになり、奮起湖は観光スポットとしてさらに繁栄した。奮起湖大飯店のオーナーである林氏によって、約民国50年、駅弁は登場となり、安くておいしくて好評を博した。最盛期には一日約千個以上消費されたと言われている。しかし、民国71年に阿里山道路が開通したので、鉄道を利用する乗客は少なくなり、弁当の消費量も激減し、一日二十個以下に落ち込んだ。幸いなことに、観光用の森林鉄道が再出発した後、奮起湖へ遊びに来た客はまた増えてきた。林氏はこの機会を逃がさずに経営を転向して奮起湖大飯店を開いた。ここから奮起湖弁当は息を吹き返し、当地の名物の一つになった。民国91年、林氏と7-11の提携によって、「奮起湖駅弁」というコンビニ駅弁も売り出した。こうして、奮起湖駅弁は全台湾でも注目されるようになった。
なぜ奮起湖駅弁は人気なのか。人々に好まれたその理由は素朴で豊かな味だけではなく、ノスタルジックな鉄道山町への想像を満足できるのだと思う。「丁度昼時だから、ここで弁当を食べよう」から「急がないで、ゆっくり弁当を食べつつ古い町並みの歴史や自然の美しさを楽しもう」へと、人の心構えが変わりつつあることも原因であろう。
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